テレビの映像作品を考える

まだまだ寒い2月7日上海。

午後から出社すると老板がすでに昨日の片付けを済ませていたので、僕は家から持ってきたオーディオインターフェースを常設する。以前はやPさんに頂いたモノ。これでライブをしながら同時録音やパソコンの音(例えばラジオ放送中の音とか)をライブで流したり出来る。気がする。なんか夢が広がる。

ところで、最近は早めに帰って原作漫画に改めて感動した、アニメ「めぞん一刻」をネットで見ているんだが、やっぱりテレビ向けに映像作品を作る難しさというか、歯がゆさをすごく感じる。まず「尺」。いわゆる番組で決められた時間にするということ。30分番組でCMとか考えたら純粋に作品としては20分弱。漫画1話分を会話のリズムとかシーン転換とか、そのまま映像にしたらたぶん10分にもならないかも。そういえばドラゴンボールなんて前回のおさらいとムダな戦闘シーンで1話分終わってたもんなあ。それと、スポンサーとか誰が見ているか分からない公共性を考慮した自主規制。原作の「めぞん一刻」は結構セクシーな会話やシーンもあったり、ヒロインの管理人さんが激しく怒ったりして、そういうリアルさが魅力の一つなんだけど、改めてアニメを見るとその辺がバッサリ、カットもしくは変更されている。う~ん。で、ネット動画なんですが、今のところ「尺」も考えなくて良いし見たくない人は見なけりゃ良いっていうスタンスがあるので、まだ素直な表現ができていると思う。これからどーなるか分かりませんが。マネタイズなんでしょうね、きっとすべては。

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