“十周年を振り返る”:第3話「スタジオ」

7202a8a6.jpg会社登記したは良いけど、急に仕事が多くなるわけも無く、「富民路」に近い「常熟路」に少し大きめのアパートを借りて、事務所兼村松&川尻の住居として、毎晩キッチンでビールを飲んで坊発楽会議。

川尻老板が今まで築いて来た人脈を生かしつつ、ホームページを立ち上げ、営業用資料を作り、飛び込み営業をして宣伝をしました。主な業務はやはりイベント企画、タレント派遣、音響、照明の外現場。広告代理店や旅行代理店、日系企業に営業行っていました。中でも覚えているのが「電通」。やるなら一番大きい所からと思い、上海電通を調べて、飛び込みで資料を持って行きました。当然相手にされず、資料だけでも置かせてくれと受付の女性に渡しました。今では電通さんの仕事もさせてもらっているし、取引企業として口座登録もしているので、僕の中ではしてやったり(笑)。中国人スタッフも雇ったり、日本人も新たに加わったり、なんだかんだと楽しくやってはいたが、僕らの原点であり夢でもある「留学時代のようなスタジオ」が出来ていない。「富民路」の元ファンファーレスタジオはハーブ屋になっていて、しかもいつ見ても客がいて儲かっていそう(笑)。密かに考えていた買収もこれでは無理。そして2008年。外現場の仕事が好調で資金的に余裕が出て来た時期。ちょうど中国の友人が、大きな場所を借りてくれる人を探していて、中国の法人代表人、川尻、村松で会議(『寧夏路会談』2008年7月23日のエントリー参照)。それが法華鎮路のスタジオ坊発楽。ついに念願のスタジオ復活を遂げたわけです。

このブログでも、老板日記でもあまり苦労話は書かないようにしているので、なんだか凄く順調にここまで来たように書いているが、知られざる苦闘は数知れず。我ながらこうやって振り返ってみるとグッと来るものがあります。老板日記やこのブログも過去のエントリーが見れるので興味のある方(居ないか・・・)は是非ご覧下さい。「Blog内検索」で例えば『寧夏路会談』で検索してもらえると有り難いです。次回は番外編を書きたいと思います。

写真は以前雑誌「Whenever上海」に載せる予定だった坊発楽の広告。なかなか良い出来だったのにデザインを変更させられました。